こんにちは。ヒサノアスカ(@AsukaHisano)です。
実際には結構前から準備していろいろ計画していたのですが、永住許可を入手したので、正式発表いたします。
ヒサノアスカは11月末で正社員の仕事を辞めてフリーになります。
「お前は何を言ってるんだ?」と言われそうですが、まあヒサノにもいろいろあっての事なので。
ただ今年の初め、厳密には2年以上前から思ってたこと、感じていたことを、あえてブログに残しておこうと思います。
そもそもどうしてチェコで就職したのか
チェコで1年語学留学した後、なんとなーくで仕事を探してみたら日系企業に拾われた、というのが実情です。
何しろヒサノが今の会社の面接を受けたとき、当たり前ですが志望理由を聞かれたわけですが、その回答からも適当さがわかるでしょう。
まずは日本でもですが特に地元大阪で名前の通ったグローバル会社だから受けてみた、というのが一つ。
もうひとつが「このまま日本に帰ったらせっかく習ったチェコ語がもったいないと思ったので」に加えて「チェコにいられるならどこの会社でも構いません」と言い切りました。
いえ、あの、すみません。度胸があるとかじゃなくてぶっちゃけテンパってたからです。
こんなことのたまっってしまったため、「まあ無理だろうな、はっはっは」と思っていたのですがなぜか採用されました。
けれど、採用されたことを、親父様が喜んでくれたんです。
日本でも名前の知れてる会社に、学歴もキャリアもぶん投げてる娘が正社員で雇われたなんて、そりゃあ喜びますよね。
これまで迷惑も心配もいっぱいかけてきてたので、何年かはちゃんと勤めて親父様を安心させてあげたい、と思いました。
て、そのまま半ば惰性と、会社のネームバリューで親父様を安心させてあげたいという思いと、「日本には帰りたくない」という思いだけで人生初の正社員生活を4年ほど続けていました。
辞める理由その1:仕事しなくてもチェコにいられるようになった
海外滞在・移住を考えたとき、一番のネックになるのがビザです。
どんなにその国が好きでも、ビザがなくては外国人は滞在できません。
ヒサノの場合、チェコはそこそこ好きで友人もいるし色々楽なので住んでてあまり問題がありません。
ですがそれ以上に、日本で暮らせない人であるため、チェコに滞在できるのであればそれに越したことはないと、チェコに滞在する手段として仕事を続けていました。
ですがこのたびチェコの永住許可が取れた=会社辞めてもチェコで暮らせることになったので、すっぱり辞職する決心がついたというわけです。
辞める理由その2:この会社に勤める理由がない
永住許可とかビザを抜きにして、という意味ですが。
ヒサノはそもそも高専を辞めた時点でまともなキャリアは無理だろうと諦めまして、日本にいる間は派遣ばっかやってました。
おかげで別に正社員じゃなくても生きていけるし稼げるという認識ができました。
ならなんで正社員になったかって、上にも書いてますが親父様が喜んでくれたからです。
でっかい会社の末端とはいえ一員になって生活できるようになった、ということで、安心してくれたからです。
だからどんなに仕事がしんどくても、大変なことがあっても、歯を食いしばって頑張れました。
でも、その親父様がいなくなってしまうと、「この会社じゃないとダメ」な理由がなくなるんですよね。
だってヒサノ自身が会社に対してそんなに思い入れあるわけじゃないんですもん。
特に自社で作ってる製品を必要としない人で、かつ自分一人を食わせれたらそれでいいとなれば、貯金額と会社に残るメリットと将来性を見比べたときに在籍する理由が本気で見つからなかった。
むしろネガティブな未来しか見えなかったため、辞める決意をしました。
辞める理由その3:心のリハビリのため
親父様が亡くなった直後、チェコに戻ってからしばらくは、仕事が本気で忙しかったため日中は仕事に集中して、仕事が終わったら帰って食事してシャワー浴びて寝る、という生活でした。
ところがひと段落ついて、部署内での人事異動?があった後、ぽっかり半年以上ヒマになりました。
なにしろ担当が変わった上に、上司が新しい人になったため、何をしたらいいのかわからないし指示を求めても「君はここで一番経験があるから何とかできるでしょう」と返される。
そんなわけで、前年のあれこれすべてと開発終盤の忙しさに端を発した燃え尽き症候群が行きついて燃えカス化しました。
本当に、去年の5月ぐらいから今年の1月ぐらいまで、仕事のパートナーと「ねえ、今日何したらいいの?」「さあ。仕事ないよね」「ないね。じゃあまた一日仕事してるふりしてようか」「そうだね」ってのが毎日の会話。
なら仕事が終わってからも体力も気力も有り余っているはずが、バスに乗って家に直行するしかできない。
そして家に帰ったらニコニコ動画を付けてごはんを食べてぼけーっとしてシャワーをかろうじて浴びて寝る。
ほぼ自分に対すして義務化させてたMeet-upと、友達からの誘い以外は、興味があるものでもよっぽど気になるものでもない限りうだうだしている間に時間が過ぎて参加できなくなる、というパターンの繰り返し。
そんな生活を送っているうちに、気が付けば何事に対しても無関心になっていました。
新しいPCを買ったら夜を徹して色々設定していたはずが、数か月経っても最低限のソフトしか入れてない。
本の虫でわざわざ日本から何冊もの本を持ってきていたのにさわりもしていない。
食べることが大好きだったはずなのに、日本に帰っても食べ歩きする気が起きない(夏バテもあったと思いますが)し、そこそこの味付けでおなかが膨れたらそれでいい。
何よりも自分自身に関心がなくなって、人間の尊厳ぎりぎり守れてる……はず?なレベルにまで落ちてました。
正直、今もまだこれ引きずりまくってます。
そんな自分に気付いたのが年が明けてしばらくしたころ。
驚いたのが、趣味のリストを作れても、なんでそれが好きなのか、そもそも好きって何なのかがわからなくなっていたことです。
それに気づいたとき、やばい、と思いました。
これじゃダメになる、と。いやもうダメになってる、と。
その時点で、仕事を辞めることは半分以上決めてました。
辞める理由その4:仕事と上司と環境がマジ無理
勤めはじめてからずっと新製品開発を手掛けていました。
新しい製品を作る手助けだ、と思うと、全体の内の一部の手配だけとは言っても、その製品の広告とか見るたびにちょっと誇らしくなったものです。
ところが昨年度、新担当コモディティで動ける新規開発がほとんどなかったわけです。そこでまずヒマになりました。
加えてコストダウンにも手を染めることになったのですが、はじめたばかりのコモディティで何をどうすればいいかわからず、しかし上も上で新しい人たちで指示出しすらできないため、前の上司から聞いたことなどを元に手探りで動き始めたわけです。
そしたら上半期終わりが近づいてきたタイミングで、色々偶然とちょっと後ろ暗いアレコレの結果、一件の業者さんが恐ろしい額のコストダウンを達成したことになったのですが、それをEU本社に横取りされました。業者目標は据え置きで。
まずここでプッツン来ていたのですが、その後も「ヤクザかな?」とか言いたくなるような交渉をさせられ嫌気がさしていたのですが。
クリスマス休暇が始まる前日15時に、あからさまな炎上案件をEU本社からぶん投げられました。
絶対触りたくないような案件だったんですが、他にやる人がいない上に、新しい上司どもはEU本社の犬なため「何があってもやり遂げなければ!」となっており、まあやるしかない状況に。
それでもぶん投げてきた相手に「本当にモノは何一つ変わらなくて商流の変更だけなんですね?」「業者も全くおんなじで、梱包仕様も変わらないんですね?」と確認して「その通りだ」と言われたから着手した挙句、「実は梱包仕様いくつか違いました。他工場に影響出るので御社も合わせてください」「実はうちは他の業者から買ってます。御社も業者切り替えませんか?」なこと言われておいこら話が違うぞと。
で、途方に暮れて上司に相談に行ったら「それで君は・あなたはこの問題に対してどうするの?」って、いや、それがわからんから相談しに来たんですが。
この回答3回もらった時点で「こいつら使えねえ」と烙印を押し、一人で何とかすることにしました。
このあたりをまとめて報告あげたら「なんでやらなくていいことをやってるんだ!」「お前がそんなことやってるからコストダウンの適用がもう1か月遅れてる!」とか言われたんですがいやあの本当に絶対やらなあかん確認やっただけなんですが。
そう伝えたところ「だったらチェコ社のやり方を変えろ!」っておい。
ちなみにこのときおっさんども3人対ヒサノ1人。敵のボスは前の課長が辞めるきっかけを作ったような方です。
あんまりの理不尽さに泣きそうになったので、上司の一人を呼んで段ボール盾にしましたがまあ使えない。
このMTGの結論も結局実行されず、なんだかんだ一人で炎上案件対応せざるを得ない状況から抜け出すこともできず。
あと同僚が協力してくれなかったり、別の同僚が恐ろしく使えなかったりもしました。
でまあ、そういうごたごたの挙句、なんとか片付いたかと思いきや納期問題で1か月、重い部品を大量に飛行機で飛ばすことになり、笑っちゃうような金額のエア費用が発生。
更に発注システムの設定が色々ややこしいことになっていて、ラインがストップしました。在庫は元の業者さんの倉庫にたんまりあったのに。在庫整理の発注するので数量教えてくださいとかなり前から何回もお願いしてたのに完全に無視された挙句のライン停止です。
更にはライン停止こそは免れたものの、発注システムの別の設定問題で危うく部品が足りなくなるところでした。
この全部、ヒサノの責任、みたいなこと言われました。
最終的に、ぷっつん来て、職場で大号泣しました。
その後、みんながちょっと優しくなったくらいで上司は何を言ってくるでもなく、部署内の報告会でも「アスカがあーしてこーしたからこうなって、だから今後はあーしてこーして」と結局ヒサノが色々足りてなかったみたいな話。
前の課長は恐ろしく厳しい人ではあったけれど、問題があった時に部下一人に責任をおっ被せようとはしない人でした。むしろ他の人たちに何ができたのかを追及して、部下に降りかかる火の粉をちょっとでも減らすよう頑張ってくれる人でした。
でも新しい課長は、この件について何も話してきませんでした。
わざわざこっちから、そんな課長に話に行く気にもなりませんでした。
だって、上司に対する信用ゼロ以下ですもん。
まあ、この件以外にも色々あったんですけどね。ありすぎたんですよね。
そんな事情で、7月末に偶然機会が来たので課長に伝えました。
「年末目処で辞職を考えています」と。
まずびっくりされて、理由を聞かれて、「お前のせいじゃボケ」とは言えないので精神状態を主な理由にして、その上で「大きな問題が起きたこともあるし、せめて各期ごとに短い面談の席を設けてほしい。そういった席があれば色々相談もできると思うので」と伝えたのですが、返ってきたのが「いや、僕は年に一回の評価で十分だと思ってるよ」
いや、お前の考えなんか聞いてねえです。こっちは意思を伝えてるんです。
そうですか、部下の考えなんか気になりませんか。
ではこちらも上司の考えなんか気にしません。
そちらが何と言おうと辞めます。
ここで100%心を決めました。絶対に退職してやると。
永住許可取得を前提に、辞職届出しました。
9月11日に永住許可の申請を行った直後、直接の上司じゃないけど同じ部署で働いている駐在の日本人との面談がありました。
そこで「今後についてどう考えてる?」と聞かれたのですが、妙な期待を持たれているのは知っていたのでそれをシャットアウトするためにも「辞めること考えてます」と伝えました。
その場では「理解はする」「他の部署に移るとかじゃだめ?」「考え直して、もう一度課長と話してみて」と言われました。
まあこの前後でもちょこちょこいろいろあったので決意が揺らぐはずもなく、課長には「やっぱり年末で辞めるつもりです。なので手続きについて教えてください」の方向で話を持っていきました。
こちらもやっぱり「理解はする」「心が決まっているなら引き止めはしない」「冬は新しい人が見つかりにくい」「特に君のような人材はなかなか見つからない」「できればせめて1月まで残ってほしい」と言われましたがまあ心なんか変わりませんよね。
というか、そうそう代わりを見つけられないような部下を腐らせたのはあなたですけどね?
その後、もう一度駐在の日本人と話したのですが、いやもう根本的に考え方が違うんだなあと思い知らされるだけで終わり。
その後もまるで今後もヒサノが働き続ける前提な発言がその人から出てくることで、「あ、マジで最短で辞めんと抜け出せんくなる」と危機感を覚えました。
そのため永住許可が確定する前の9月の末に、11月末で辞職する旨退職届を提出しまして、無事受理さたので最終日を待つ身となっています。
今後の予定について
実はすでにVAとして軽くお仕事を始めているため、仕事を辞めた途端に収入がゼロになる、というわけではありません。
ただこのVAのお仕事はあくまで最低限の生活を保障するためのものなので、そこそこのお給料さえもらえればいいや、というスタンスです。
たっぷりとできる自由な時間で、まずは長年やるやる言ってて詐欺状態になりつつある、過去に執筆した作品を電子書籍化(ePub化)して個人出版しようと思ってます。
(実は同人誌版出したものの、同人誌版のWordファイルがないためePubにするにはテキスト修正から始めなければならない。しかし文庫本2冊分という分量に加えて修正入れたい部分が多々……ぐぬぬ)
その合間に日本に帰ったり、小さいころの夢だったフロリダテーマパーク巡りを叶えたりとちょっと人生の休暇を取るつもりです。
その後は手にスキルを付けるということで、大昔に匙をぶん投げたプログラミングをまた始めようと思っています。
希望としてはフリーランスとして生計を立てられたらなあ、なのですが、まあ食うに困ったらプラハに出て日本食レストランとか日系企業で適当に働けばいいお話ですし。
人生、結構何とでもなるってことは経験で知っているので、たぶんこれからもこんな感じで生きていくと思います。
もし数年後に「雇われ人に戻ることになりました」とかいう記事を書いていたらどうぞ笑ってやってください。